大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成8年(ワ)10940号 判決

原告

喜熨斗政彦

右訴訟代理人弁護士

松下繁生

被告

甲野花子

主文

一  被告は、原告が出演する劇場に立ち入ってはならない。

二  被告は、原告の所在地から半径二〇〇メートル以内の近隣を俳徊して、原告の身辺につきまとってはならない。

三  被告は、原告の支持者等の第三者に対し、原告の名誉や信用を毀損したり、業務を妨害する言動に及んではならない。

四  被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する平成八年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  原告のその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  主文第一ないし第三項と同旨

二  被告は、原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成八年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、歌舞伎役者である原告が、被告に対し、歌舞伎を演じる権利等を著しく侵害されたとして、人格権に基づき、原告が出演する劇場への立入禁止、原告の身辺へのつきまといの禁止、名誉毀損等の言動の禁止及び不法行為による損害賠償請求権に基づき、慰謝料三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年一二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事件である。

二  被告は、本件口頭弁論期日に全く出頭しないが、第一回口頭弁論期日後に提出された答弁書等によると、原告の主張事実を争っている。

第三  裁判所の判断

一  証拠(甲第三ないし第六号証、第一〇、第一四、第一五号証、証人金谷哲男、同藤間文彦、同石毛敏子の各証言、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、市川猿之助の名前で歌舞伎を演じる歌舞伎役者である。

被告は、昭和四九年九月一一日原告の後援会の「おもだか会」の会員となったが、昭和五二年一一月除名され、そのころから、姿を見せなくなった。

2  ところが、被告は、平成四年二月延岡で行われた原告の歌舞伎公演に突然姿を現し、以後、原告の歌舞伎座公演を連日連夜にわたって観劇し、原告につきまとうようになった。

そして、被告は、必ず劇場の一番前の席に陣取り、派手な目立つ着物を着て観劇し、他の客が笑ったり手を叩いたりする場面でも、一人だけ笑ったり手を叩いたりすることなく、原告をただじっと能面のような表情で見ていた。

また、被告は、劇場の隣の席の人や公演の休憩中のロビーにいる人等に対して、「自分は、猿之助に言われて芝居を見に来ている。猿之助に言われて前の席で見ている。遊びに来ているのではないから、猿之助の顔をじっと見ていればいいと言われている。」「私は、猿之助の婚約者で、近々発表して結婚する。」などと虚偽の事実を言いふらした。そのため、被告の右話しを信じてた沢山のファンから、「おもだか会」の役員に対し、その真偽の問い合わせが来るようになった。

3  そのころ、原告は、マネージャーをしている金谷哲男(以下「金谷」という。)から、被告の右のような異常な言動を聞いたうえ、舞台から、被告が、何時も派手な目立つ着物を着て、他の客が笑ったり手を叩いたりする場面でも、一人だけ笑ったり、手を叩いたりすることなく、ただ能面のような表情で観劇しているのを見て、段々恐怖心を抱くようになり、舞台に神経を集中することの妨げとなった。

4  そこで、金谷は、平成六年三月の大阪新歌舞伎座公演、同年五月の名古屋中日劇場公演、同年一〇月の東京歌舞伎座公演、平成七年一月の東京歌舞伎座と浅草公会堂の掛け持ち公演、同年六月の名古屋中日劇場公演及び同年七月の東京歌舞伎座公演の観劇に来た被告に対し、原告につきまとわないように話したが、被告は、支離滅裂な答弁に終始し、話し合いにならなかった。

その間の平成六年一〇月の東京歌舞伎座の公演中、原告は、銀座東急ホテルに宿泊していたが、被告が、同ホテルのフロントに来て、原告の隣に部屋をとって欲しい旨依頼してきたと聞いて、恐怖心を抱き、舞台の月半ばで他のホテルに移った。

5  そこで、金谷は、被告の兄に対しても、被告が原告につきまとわないよう説得して欲しい旨依頼したが、その効果はなく、その後も、被告は、相変わらず、原告の公演先に来て、異常な態度で観劇を続け、原告と同じホテルに宿泊したり、同じ電車に乗車するなどして原告につきまとった。

その後も、金谷は、観劇に来た被告と話し合いの機会をもったが、進展はなかった。

6  金谷は、平成七年一一月二四日にも、福岡県の歌舞伎の公演に際して、被告と話し合ったが、以前と同様、話し合いにならなかった。

右話し合いが終了後、被告は、無理矢理楽屋を訪れ、居合せた藤間紫に対し、所持していた傘を振り上げたが、その場にいた人達に制止された。その際、たまたま通りかかった原告が、被告に対し、「私はあなたに大変迷惑している。つきまとわないで欲しい。」などと言ったところ、被告は、激高して、原告に対しても傘を振り上げたが、金谷らに制止されたため、その場はおさまった。

原告は、被告の右のような言動により、精神的に非常な衝撃を受け、被告に対し、更に恐怖心を抱くようになった。

7  そこで、原告は、被告による危害の発生を未然に防止する等の目的から、平成七年一一月二七日大阪地方裁判所に対し、観劇禁止等の仮処分を申請し、同年一二月八日、「債務者(被告、以下同じ。)は債権者(原告、以下同じ。)に対し、債権者が出演する劇場へ立ち入ってはならない。債務者は、右以外の場所においても債権者の身辺につきまとってはならない。債務者は、債権者の支持者等の第三者に対し、債権者の名誉や信用を毀損したり、業務を妨害する言動に及んではならない。」旨の仮処分決定を得た。

8  しかし、被告は、右仮処分決定を無視して、平成七年一二月の京都南座公演の観劇に来たため、金谷らは、右劇場の支配人に依頼して交番に連絡し、警察官に同劇場から被告から退去させてもらった。その際、被告は、興奮し、「私には仮処分は関係がない。」「原告に呼ばれて来ている。」などと大声で叫んで抵抗した。

9  被告は、平成七年一二月一四日「おもだか会」の事務所を訪れ、事務員に対し、仮処分に対する不満を述べ、退去要請に応じることなく、長期間にわたって大声で叫び続けて仕事を妨害した。

10  平成八年八月三一日タイ国王即位五〇周年事業の一環として、バンコクのタイ・カルチャーセンター・メインホールにおいて、原告の歌舞伎公演が行われた。

被告は、原告と同じ航空機でタイを訪れ、右歌舞伎公演を観劇し、原告と同じホテルに宿泊した。そのため、原告の同行者は、不測の事態が発生するのを防止するため、ホテルに依頼して、被告の部屋を原告の部屋から遠く離してもらったり、ガードマンらに被告を監視させ、更に他の公演関係者にも被告の行動に注意するよう依頼したりするなどして、右公演を無事終了させた。

被告は、その後の平成八年一〇月の国立劇場における原告の歌舞伎公演にも観劇に訪れた。

二  右認定の事実によれば、被告は、原告のファン等に対し、原告と婚約しており、近々結婚するなどと虚偽の事実を流布して名誉等を毀損したほか、原告に執拗につきまとい、異常な態度で観劇するなど、通常のファンの域を超えた言動により、原告に対し著しい苦痛を与えており、右言動は、原告が人気商売の歌舞伎役者であることを考慮しても、原告の受忍すべき限度を著しく超えているものと認めることができるから、原告は、人格権に基づき、被告に対し、原告が出演する劇場への立入禁止、原告の身辺へのつきまといの禁止及び名誉毀損等の言動の禁止を求めることができるものというべきである。

また、被告の右言動は、原告の名誉等を侵害するものであり、不法行為にあたるものと認められるところ、本件に現われた一切の事情を考慮すると、慰謝料は五〇万円が相当である。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却する。

(裁判官大谷正治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例